チンタオの天主教堂(中国青島の旅・82、その壱)
2008年 08月 15日
◆青島天主教堂(旧聖弥愛爾大教堂)
◎設計:アルフレッド・フレーベル
◎竣工:1934年
青島(チンタオ)の天主教堂といえば、この街の象徴とも言える建物です。1934年にアルフレッド・フレーベルというドイツ人建築家の設計より、建てられたこの教会は、2つの塔が天へ延びるように建つゴシックスタイル。高台に建てられた教会の2つの塔は、青島の旧市街地にいれば何処でも目に付きます。何とも言えぬ風格と哀愁・・・・、青島を訪ねこの教会を目にするたび私はそのような印象を抱きました。
この教会が建てられた1934年といえば、青島を開発したドイツ人たちが去り、それに代わり日本人が移り住んでいた時代。当時、この教会がどのような位置づけで建設されたのか気になるところですが、調査不足でそこまでの詳細は分かりません。ただこの教会、文化大革命の紅衛兵たちによる宗教建築の破壊運動などを間一髪のところで免れるなど、波乱の時代を生き抜いてきたのは確かなようです。そして現在は何の規制もない自由な信仰の場として、竣工当時と同じく教会として使われています。
あとこの建物の面白いところは、細部に20世紀初頭にドイツ本国で流行した〔ユーゲントシュティル〕のデザインがさりげなく用いられているところでしょう。何となく『かっての主は俺たちだったんだ!』というドイツ人たちの主張にも思えてきますが、時は流れ青島の街は全てを飲み込んでしまったように思えてきました。
正面から教会を見上げる。
教会正面の玄関部分。
ステンドグラス。こちらは最近になって設置されたもものよう。
こちらはドイツ風のカエル口の窓・・・・・。
◎設計:アルフレッド・フレーベル
◎竣工:1934年
青島(チンタオ)の天主教堂といえば、この街の象徴とも言える建物です。1934年にアルフレッド・フレーベルというドイツ人建築家の設計より、建てられたこの教会は、2つの塔が天へ延びるように建つゴシックスタイル。高台に建てられた教会の2つの塔は、青島の旧市街地にいれば何処でも目に付きます。何とも言えぬ風格と哀愁・・・・、青島を訪ねこの教会を目にするたび私はそのような印象を抱きました。
この教会が建てられた1934年といえば、青島を開発したドイツ人たちが去り、それに代わり日本人が移り住んでいた時代。当時、この教会がどのような位置づけで建設されたのか気になるところですが、調査不足でそこまでの詳細は分かりません。ただこの教会、文化大革命の紅衛兵たちによる宗教建築の破壊運動などを間一髪のところで免れるなど、波乱の時代を生き抜いてきたのは確かなようです。そして現在は何の規制もない自由な信仰の場として、竣工当時と同じく教会として使われています。
あとこの建物の面白いところは、細部に20世紀初頭にドイツ本国で流行した〔ユーゲントシュティル〕のデザインがさりげなく用いられているところでしょう。何となく『かっての主は俺たちだったんだ!』というドイツ人たちの主張にも思えてきますが、時は流れ青島の街は全てを飲み込んでしまったように思えてきました。
by yotaro-hako-emura
| 2008-08-15 23:47
| 中華人民共和国・青島